本石灰町の歴史などを掘り下げます。
「本石灰町(もとしっくいまち)」の由来について
町名は「本石灰町(もとしっくいまち)」と読みます。
石灰をしっくいと読むのは唐音(唐人ことばの訛(なま)ったもの:漆喰)です。
昔、この町は玉帯川の川口(川じり・河口)にあたり浜崎とよんでいました。
シツクイのことを長崎では天川(アマカワ)と呼んでおり、天川とは「マカオ」のことをさします。
長崎のシツクイの原料は、始め、マカオから船で運ばれ、ここの川岸につまれていました。
また、付近には船着場があり、隣の油屋町で油精製のため使用される石灰の荷揚げ場となり石灰を取扱う業者が居住していたことに由来して石灰町の町名になったと言われています。
はじめは石灰町と称されましたが、油屋町を挟んで今石灰町、新石灰町が出来たので本石灰町となりました。
このことから、昔、長崎を出船した御朱印船が遠くベトナム、マカオ方面にまで出かけた故事にちなんで、荒木宗太郎の御朱印船を本石灰町では奉納しています。
本石灰町の長崎くんちにおける演し物(だしもの)の歴史
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当番年 | 演し物 |
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令和5年 | 御朱印船(予定) |
平成25年 | 御朱印船(映像はコチラ) |
平成18年 | 御朱印船 |
平成11年 | 御朱印船 |
平成4年 | 御朱印船 |
昭和59年 | 御朱印船 |
昭和52年 | 御朱印船 |
昭和45年 | 御朱印船 |
昭和38年 | 本踊り・神山車 |
昭和31年 | 本踊り・神山車 |
昭和24年 | 本踊り・樽神輿 |
昭和17年 | 本踊り |
昭和10年 | 本踊り |
昭和3年 | 本踊り |
大正10年 | 本踊り |
大正3年 | 皇后陛下御大喪・世界大戦のため傘鉾、踊ともに取りやめ。(本踊予定だった) |
明治39年 | 本踊り |
明治32年 | 分裂奉納①本踊り・段尻②龍神踊 |
明治25年 | 本踊り |
明治18年 | 蛇踊 |
明治11年 | 不明 |