3年連続で中止となっていた「長崎くんち」の奉納踊りについて、通常通り開催することを正式に決定。

本石灰町について

本石灰町の歴史などを掘り下げます。

「本石灰町(もとしっくいまち)」の由来について

町名は「本石灰町(もとしっくいまち)」と読みます。

石灰をしっくいと読むのは唐音(唐人ことばの訛(なま)ったもの:漆喰)です。

昔、この町は玉帯川の川口(川じり・河口)にあたり浜崎とよんでいました。

シツクイのことを長崎では天川(アマカワ)と呼んでおり、天川とは「マカオ」のことをさします。

引用:https://www.travel-zentech.jp/world/map/china/Macau.htm

長崎のシツクイの原料は、始め、マカオから船で運ばれ、ここの川岸につまれていました。
また、付近には船着場があり、隣の油屋町で油精製のため使用される石灰の荷揚げ場となり石灰を取扱う業者が居住していたことに由来して石灰町の町名になったと言われています。

※石灰…土と混ぜて建築や防水に使われたり、油の精製に使われる。土間、流し間、壁に用い、屋根がわらの固めに用い、その他用途は広いが、唐人船は水漏れを防ぐ目塗りにも用いた。

はじめは石灰町と称されましたが、油屋町を挟んで今石灰町、新石灰町が出来たので本石灰町となりました。

このことから、昔、長崎を出船した御朱印船が遠くベトナム、マカオ方面にまで出かけた故事にちなんで、荒木宗太郎の御朱印船を本石灰町では奉納しています。

本石灰町の長崎くんちにおける演し物(だしもの)の歴史

スクロールできます
当番年演し物
令和5年御朱印船(予定)
平成25年御朱印船(映像はコチラ
平成18年御朱印船
平成11年御朱印船
平成4年御朱印船
昭和59年御朱印船
昭和52年御朱印船
昭和45年御朱印船
昭和38年本踊り・神山車
昭和31年本踊り・神山車
昭和24年本踊り・樽神輿
昭和17年本踊り
昭和10年本踊り
昭和3年本踊り
大正10年本踊り
大正3年皇后陛下御大喪・世界大戦のため傘鉾、踊ともに取りやめ。(本踊予定だった)
明治39年本踊り
明治32年分裂奉納①本踊り・段尻②龍神踊
明治25年本踊り
明治18年蛇踊
明治11年不明